10.15.2006

お散歩とつれづれ

哲学の道っていうわけじゃないんですけど、散歩をすると脳が活性化されていろいろ考えるものですね。

知り合いに道ばたでばったり会い、その人が昔の私の作品の話をしたりする、、
その人と別れてから一人歩きながら不思議な気持ちがこみ上げてきました。

10年以上も外国に住んでいたので麻痺していたけれど、子供のときは外国で暮らすことや、そこで自分の作品を売っていくことなど夢のまた夢だったような、、。

ましてや、私のアートがネームバリューがあるわけでもブランドになっているわけでもないのに、作品をちゃんと見ていてくれてその人の家庭にずーっとあって、飾られていたり使われていることを目の当たりにするとほんとに不思議です。

私の場合はアートは絶対的なもので、生活の中にはなくてはならないものです。気持ちを消化するために何かを作り続けなければなりません。

作り終わってしまうと自分の気持ちが消化され、自分とは違うところにその作品は存在することになります。

なので、買ってくださった方に”あれはどういう気持ちで描いたの(作ったの)?”と聞かれるとちょっと弱ります。
その時の気持ちに戻ることはもうできないので、(確かこんな感情で描いてたかな?)という憶測で説明したりするので自分では嘘っぽく感じたり、、。

ただ言えるのは、見ている人が新たなとらえ方をして作品の中に新しいストーリーを見いだして慈しんでくれたらうれしい。

人が子孫を残して、自分がここにいたことを証明するように、私は自分の作品でここに確かにいたことを明かそうとしているのかなあ。

最近、私の周りに哲学っぽい人たちが多いので、私もちょっと浸ってみました。

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